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緑のマント/どこかで聞いたはずの話

 望月さんの父は、毎晩ねる前に読み聞かせをしてくれる習慣がありました。

 小さなころはいわゆる絵本であることもありましたが、もっぱら児童文学というかB6判のハードカバー、「大どろぼうホッツェンプロッツ」のサイズのあれです。数日かけて──── おそらく一週間近くでしょう──── 一冊を読む。

 毎週図書館に行く習慣のあった母と合わせて、わたしを本好きにした大きな要因だと思います。


 そんな父がある時期に話してくれた創作物語が『緑のマント』でした。


 同名のジョン・バカンの作品とは無関係。

 いわゆる無国籍のファンタジー作品です。連作。


 ざっくりしたあらすじとしては、「不思議な力を持つ緑のマントが事件を引き起こしながら多くの人の手を渡っていき、主人公とその一行は緑のマントを追いかけて毎回事件を解決する」というもの。毎回の流れはほとんど同じでしたが、森、山、溶岩地帯に雪原に砂漠。毎回がらりと舞台を変えながら旅をしていくことに魅力があって、振り返ってみると水戸黄門のような楽しみがあったように思います。

 ただ、子供心にも「これ最近アニメでみたネタじゃない?」「ニュースで見た話そのまま放り込んできたな?」と思うようなことが多々あったし、まあ父だって素人だものなあ、オリジナルでそんなに独創的な話ができるなら作家になってるから無理もないなとナマイキな感想を持っていたことを覚えています。


 ここまでだと、そこそこいい話というか「自分の考えのベースには両親の影が良い意味である」という再確認でしかありません。

 ただ、ここからが本題です。


 

 お正月の話。

 小さい頃に『緑のマント』って話をしてくれたよね、あれの不思議な力ってなんだっけ? と父に問うたのです。まあウン十年前のことなので、「そんな細かいことは覚えてないよ」と返されても仕方ないだろうなと思いながら。

 ところが、父はそんな話に覚えが無いと言うのです。

 忘れちゃっただけではないかと追及してもそんなことは無いはずだ、そもそも俺にそんな創作ができると思うか? と問われる始末です。

 質問に質問で返すなァーッとキレても仕方ないので母に確認を取ると、「物語なんてさっぱり読まずに新書くらいしか本を読まない夫が創作ストーリーを連日語れるわけがあるまい(意訳)」とへんな太鼓判を押す。じゃあ父というのが勘違いで母なのではと聞くとアタシはそんなめんどくさいことはしないしするとしても一話完結にするはずだと言う。


 ……じゃあこの記憶はなんだ?


 火のない所に煙は立たないし、事実の無いことに記憶はできません。何かの記憶が変質してしまったのでしょう。

 少なくとも『緑のマント』を誰かから聞いたことがある、ここまでは確実なはずです。問題は誰から聞いたのか。

 とりあえず、寝る前のオハナシだったというのは間違いのはず。それで父母以外だと怖い話になってきます。幼稚園でおひるね前に聞いたとかそういうアレだろうかと一瞬思うも、わたしの行っていた幼稚園に昼寝はありませんでした。

となると、口頭でオハナシを聞く場面というのはほとんどありません。図書館の読み聞かせかなにかか、とも思うけれど時事ネタが(しかも雑に)混ざってきていたことに説明がつきません。

 そもそも、単一の出来事ではなく「連作だった」というのが色々な説を封じてしまいます。読み聞かせ説もだめ。単発だったら夢で見たのを何度も思い出して記憶に定着しちゃった、ということがありえるけど連作なのでこれもおかしい。


 だらだら書いたけど、この稿は「思考の果てに結論が出た」というものではありません。

『緑のマント』は出自がわからないままです。

 ともかく、わたしはナニカを忘れている。


 

 ところで、たぶん話は『緑のマント』だけではありません。

 ちょっとした言葉にせよ、クセにせよ、「Aさんに教わった、Aさんのまねをした」と認識していたものがAさん自身からなんだそりゃと言われること、実は何度かあります。


 一例として。わたしは雨の強さを「2速の雨」のような表現で認識しています。

 車のワイパーを一段動かしただけでは間に合わない、三段目までは必要ない、そういうニュアンス。そもそもワイパーの強さをミッション車のギアみたいに「X速」で表現するのがヘンにはヘンなんだけど、大学時代の恩師がこれ使ってたのでなかなか面白い表現だなと気に入ってマネて現在に至ります。


 でもね、その先生に再会したときにそれ話したら「ぼくのことじゃないよ~ぼく免許持ってないもん」と言われてポカンとすることに。

 その後数年なんだったんだアレと考えていたんですが、こちらは出自が判明しています。大学時代、短期のアルバイト先で先輩だったひとでした。────でも、どう考えても先生とほぼ共通点がありません。あちらは中年男性であり先輩は同年代の女性です。意味がわからない。

 ただ、わたしはこの先輩の存在をほとんど覚えていませんでした。ということは、本人のことを忘れてしまったのに、「目上の人が使っていた『X速の雨』という表現」だけが残っていた結果、これ出自は誰だっけ……ああ先生だな、と記憶が解釈してしまったと考えると辻褄が合います。


 ────辻褄が合うけれど、しかしこれはとてもきもちわるい。


 自分の記憶が全然アテにならないし、きっと今も存在すら忘れてしまっている誰かがいる。いっぽう、覚えている人も全く別人の影を重ねてしまっている可能性があって正体があやしくなっている。

 

 最初はふしぎな話だね~くらいのつもりで書き始めたんですが、どうもわたしの人間認識が雑すぎるという結論しか出てきません。うーん……。深く考えると自傷行為になりかねないのでここらへんで〆ましょう。

 

 年明け早々ハイパーどうでもいい話でした。お読みいただいてありがとうございます。

 今日のお話はここまで。

 また気が向いたときにお会いしましょう。それではー。

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書いた人

望月すすき。​

音楽とドット絵、たまにゲーム。

色々つくってる趣味人です。

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