ポケットモンスター ソードをクリアしました。
- suzu tsukihara
- 2019年11月24日
- 読了時間: 7分

タイトル通り。ポケットモンスター ソードをクリアしました。
上は「ネタバレ要素を削った上でクリアした感を出せるスクショ」として選んだカレーもぐもぐ画像です。左がうちの主人公のサヤちゃん。ソードって聞いた時点で名前決めてました。(サブロムでシールド買ったら盾と書いてジュンくんにするつもりです)
望月さん、ポケモンは初代からずっとプレイしてます。派生作品はあまりさわってないけど、いわゆる本編は全部プレイ済み。おおむねリアルタイムで。対戦はてんでダメですが冒険と図鑑収集に魅力を感じるそんなトレーナーです。
今回は、発売日にダウンロードでプレイ開始しました。じつは、一切のネタバレを踏まないようにネット断ちしてのプレイです。ツイッターどころかpixivもあれやこれやも全部断ち、ネットを見るときはSCPを覗くのみ。そんなことはどうでもいい。
過去作でここまで情報を絶って触れたのは初めてで、そういう意味でも新鮮な体験になりました。
あのね。名作でしたよ。
発売からまだ10日しか経っていないため、あまりネタバレはしたくありません。したくないような内容です。プレイ予定の方はあんまり読まないでほしい。
ゲーム的なことについてはそこまで触れません。シナリオ面の感想についてだけにしておきます。 ゲームシステムとしてはまあよかったり悪かったり、わたしの遊び方では超楽しかったけど人によっては不満多そうだなとも思ったり。くわしくはやめとく。新ポケモン全員をローテしながら図鑑埋めもちょくちょく走り回り、ジックリもたもた遊びました。
少なくとも、シナリオに関しては過去作随一で好みです。品質については判断できませんが、「この稀有な方針で完成している」ということがあまりにも大きい。 ……まあ、わたしの好みにおいてナンバーワンというだけで、嫌いな人はホントに嫌いかも。
シナリオの空気、一言で言うとさわやかです。
悪人が出てきません。大人が頼れます。秩序が崩れません。
「この人は善人ぶっているけどどうせ後で本性を現すんだろうな……」って荒んだ目を向けていたのに、結局最後までだれ一人として悪人がいなかった。
道を踏み外した子供が闇落ちするかなと思ったら奇人に見初められて更生していたし、裏がありそうな無敗のヒーローは本当に最高のヒーローだったし、物語上ラスボスだった人物も私欲や変な信仰じゃなくて目的は間違っていなかったようだし。 そもそも「ジムチャレンジ」という大会を勝ち進んでいくんですが、この大会が途中で中断されることに疑いを持っていませんでしたよわたし。どうせ半分か残り二つくらいで中断されて悪い奴のアジトに潜入する羽目になるんだろうなあと。
そんなことはなかった。
大会は最後までバッチリ開催されました。そもそも悪い人が出てこない、悪そうだと思ってた人は全然そんな片鱗が見えない。闇落ちだコレと思ったらちょっと後に救われてきらきらに更生した。
決勝前夜に一瞬きなくさい話になったかと思ったらのんきな空気は途絶えず、悪い奴のアジトに踏み込んだのかと思ったらどうもBGMがさわやかなままで、「コレ絶対悪い奴じゃないな」と確信しましたよ。BGMは大事だ。顔は怖かったけどね。
その後の伝説絡みの大事件も、悪人が本性を出したというよりは「正しい目的のために手段を選ばなかったら制御しきれなかった」というべきものでした。大会そのものもちょっと延びただけできちんと続行できたし、ね。
なんていえばいいんでしょうか、「時代を感じた」というのが正直なところです。

ふつうの創作作品で、綺麗事を言う人間の本性が邪悪というのは珍しくありません。
ポケモンシリーズでも、XYのフラダリやサンムーンのルザミーネという前例があります。直近二作がまるきりこれだな。
また子供を主役に置くとき、大人を愚鈍な者として描く作品は少なくありません。さまざまな理由で大人が頼りにならないから子供が活躍する、というパターンです。
書いてて気づいたんですが、子供大人の問題ではないのかな。勇者と村人たちみたいなものと考えた方が正確なのかもしれない。 事件が起きて適切に対処できないモブたちの代わりに、主人公が行動して事件を解決する。
世界の人々は頼ることができない。 綺麗なことを言っている人は実は裏で悪いことをしている。 主人公と身の回りの人は自分たちで動かなければならない。 RPGという都合上、いいとか悪いじゃなくてそうせざるをえない部分です。 しかし今作では、大人が本当に頼もしい存在として描かれています。 ダンデとローズ委員長を筆頭に、ジムリーダーの面々、果てはモブキャラの大人たちに至るまで、ガラル地方の大人は純粋に頼りがいがある。実際、ゲームクリア────というか、主人公がチャンピオンとなるまでの間に劇中の事件はほとんど大人たちが解決しています。主人公はジムを突破するための冒険旅行に集中することができる。ラストの大事件の予兆となる異常はいくつも起きているんですが、「それはこっちに任せてお前は次のジムへの旅がんばれよ!」という具合です。 広大な危険地帯「ワイルドエリア」にも、多くの大人が配置されて子供たちを見守っています。自然そのものが脅威であり、ガラルの大人が総出で子供たちを庇護している、という見方もできるでしょう。 チャンピオンになった後のシナリオでは凄腕のポケモントレーナーとして事件解決に動くことになりますが、実績を思えば特に不思議はありません。ガラルで抜きんでた腕前を地域全体に知らしめた後だからこそ、です。
ポケモン勝負という軸で話は進むものの、そこから零れ落ちた子供たちを支える大人が常にいます。失格になった者、敗北してしまった者、夢をあきらめた者。トップに立てなかったけれど次の道がある。ライバルであるホップも、英雄の片割れとなったにも関わらず勝負の道を後にします────ツイッターでこれを寂しいことと受け止める人もいましたが、わたしはあの展開を肯定的に見ています。ダンデとソニアがそうだったように、主人公とホップはこれからも良きコンビになると思うので。
この物語には、救いがあります。
ガラル地方の旅には、「ひとを信頼して大丈夫」という強いメッセージを感じます。 いわゆるRPGが構造上多かれ少なかれ含んでいる裏切りや、主人公への事件の押し付け……そういったものが、明らかに意識的に除かれている。
わたし、今作の空気が大好きです。
ひねくれたところがなく、光と希望に満ちた世界。しかし「お花畑」とさげすまれるように脅威が無い世界ではなく、脅威から子供たちが護られ救われているということが繰り返し伝えられている。 わたし自身、こういう世界観が目標であり、たいへん大きな刺激を受けました。
────しかし、こういう作品が出てくる時代になったのだなあ、という複雑な気持ちもあります。 わたしのつくるような個人創作でなく、世界的なファンタジー作品でこれが出た、ということに。
たとえば「敷かれたレールを走るだけの人生はつまらない」というのは、信頼できるレールがあった時代だからこそのテーマです。実感としては、現代の作品ではかなり見かけにくくなったテーマでしょう。 では「大人は実は頼れないし裏で悪いことやってるのが相場である」というテーマが息をできていたのはどんな時代だったのでしょうか。「秩序は横やりで崩されるもの」という展開が受け入れられたのは?
……この物語が世に出た意味は置いておきましょう。いまがどうなのだとしても、子供たちが触れるにはきっと良い作品だと思います。
今夜のおはなしはここまで。
ひさしぶりにブログを使いました。見たら前回2月ですって。マジかよ。
ツイッターで書くにはまだ早い内容だと思ってクッション付きの文章置き場として使ったんですが、書いてるとあれよあれよと長くなっていく。も~。
さて、ゲーム作りもがんばります。
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