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道具に「寿命」が与えられた、という話

  • 2017年8月8日
  • 読了時間: 5分

 この話、のちのち引用するかもしれません。

 考えてるうちに色々つながってひっちゃかめっちゃかになったのでとりあえずまとめていこうかな、と。

 書くことが無いのも問題ですが、書こうと思ったことが連想ゲームのようにバンバンつながっていくのも問題です。近頃滞ってるのはだいぶんソレが原因です。

 もっと細切れで出して行った方が賢そうだ。

 というわけで極力こじんまりまとめます。

 しばしば創作では、不老不死の存在がつらいものと描かれ、寿命があること(定命、と呼ばれることもありますね)が素晴らしいことである、と言われることがあります。

 このへんから始めましょう。

 すぐ思い出したところだとFF3のザンデなんかがまさにこれで、超魔道士ノアから「人としての寿命」を贈られたという設定になってます。

 ザンデはこれに怒り狂ってとんでもないことを引き起こすけれど、作中では「贈られたものの素晴らしさを理解できなかった」という扱いになってたはず。この人、本編では完全に悪役として描かれています。

 いやわたしも怒るわ。

 長く生きればそれでいいのかといえばそうではないけれど、「人生が短いから密度が上がって素晴らしいのだ」というのはちょっと違うだろーと思うのです。寿命が30年くらいしかない生き物に生まれたらさらに素晴らしい生き方ができるか? というとそんなわけはないわけで。

 結構言い尽くされてそうだけどわたしも言います。不老不死いいじゃん!

 1000年でも2000年でも生きられるなら生きたいけどな、わたし。

 たぶん退屈するほど世界は狭くない。

 ――――とはいえ、周囲の友人や知人が死んでいく中ひとりで生きていく、というのをつらく感じる人は結構いるんだろうな、というのは最近わかるようになってきました。

 この辺の感覚があんまりないから「不老不死上等じゃないか」とか思っちゃうわけですが、これたぶん比較的少数派に位置する感覚なんだろうな、ともなんとなく掴んできてます。というか、だからこそ「周囲と同様に一定期間で死ぬ」ということが素晴らしいって扱いになるんだろうし。

 不老不死の話をすると、『中国の壺』の趙飛竜のような「定命の友人が死んでもその子孫をずっと見守っている」という立ち位置が好きなのだけど、ちょっと一旦置いておきます。

 ともかく、「限りある命は素晴らしい」という価値観がまずあるよね、って話でした。

 話は全然変わるけど、望月の家は数代続いてる細工師です。

 わたしも若輩ながらそのひとり。

 でね、仕事に使う道具というのが結構年代物が多いのです。

 十年前の道具なんてピッカピカの範疇で、祖母が愛用してたとか三代前が導入した物だとかそんなものがザラにあるわけで。わたしが毎日使ってる七つ道具も、半分くらいはわたしより年上です。

 ……それで改めて考えてみると、べつに仕事道具に限らず、モノってそんなにめったにダメにはならないわけです。椅子とか箪笥とかも祖父母の代からもらったもの結構あるし、母のオセロ盤と父の将棋盤で遊んでた記憶もあるし。

 消耗品の類は別ですが、モノの寿命はひとよりもずっと長いよね、というのがもう一つのお話。壊されたり捨てられたりしなければ、だけども。

 ようやく本題に近づいてきました。

 近頃「人間が滅びた世界で生き続けるロボット」ってモチーフがすっかり使いにくくなりましたね。

 ロボット犬のアイボの話を引くまでもなく、精密機械は非常に寿命の短いものです。

 サポート体制が無くなってしまえば一巻の終わりであることはもちろんのこと、たとえサポート下にあったとしてもパソコンは何十年も使えるものではありません。

 そのものが劣化して物理的に寿命を迎える、というケースも多いでしょう。周囲の発展がめざましく、使い続ける利点が無くなってしまう、というケースもありそうです。

 発展した技術には寿命があるのです。

 ただこれ、歴史的にはごくごく最近のことなんじゃないでしょうか。

 我が家の古い物々を挙げなくても、道具が代々受け継がれていくなんてのはそんなに不思議が無いことです。家宝として大事にする、とか大袈裟なことを言わなくても、ごくごく普通に家族を伝わってきている。

 だからこそ、コンピュータが身近でなかった時代の人が「道具が人間よりもずっと長く生き続ける」という想像をするのは当然だろうな、と思うんです。

 昔の道具(というと物凄く乱暴な括りですが)と人間との関係は、ある意味では趙飛竜のような「長命種と人」の関係に近かったのかもしれません。

 ここまでの話踏まえると、ロボットをはじめとした最新技術が寿命を持ったというのも何となく違って見えてきませんか?

 機械は優れた能力を持つのと引き換えに寿命を持った、という言い方をすることもできるなー、と思うんです。

 ちょうどザンデのようにね。

 モノは今、ヒトに近づきつつあるのかもしれません。

 消費の形式が変わったからそればかりではないんだろうけれど、道具と人との関係は少し前に比べると随分様変わりしたのでしょう。

 道具はもう「短命の人間を見つめる長命種」ではなく、人間同様に寿命を持った存在に変わりつつあるのです。

 今夜のおはなしはここまで。

 こじんまりと言ったな。あれは嘘だ。

 ほんとはここにオンラインゲームとコンシューマゲームの違いとかをからめていきたかったのですが、思考がとっちらかって仕方なかったのでまたいつか。

 
 
 

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書いた人

望月すすき。​

音楽とドット絵、たまにゲーム。

色々つくってる趣味人です。

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