こんにちは。
さっそくですが望月すすき、3週間前にドット絵を始めました。
はじめは16*16のアイコンサイズで、黒/灰色/白の三色のみを使って描いてみたんですが、これが意外とサマになったものが描けるのです。たのしい。
一週間後には24*24に挑戦し、今では色もつけられるようになりました。 昨日はついに自分のツイッターアイコン(いちばん右下)をつくれたのです。今までずっと借り物のフリー素材やジェネレータ制のものだったので、オリジナルのアイコンにできたのはちょっとした事件。
ってのが最近の活動報告。
以下、ちょっと気付いたことがあったので文章を書いてみたいと思います。長くなるので先に要点だけかいつまむと、
・わたしは創作を模倣で覚えてきたのだな。 ・絵のハードルって「模倣のハードル」だよね。 ・ドット絵はふつうの絵と違ってメチャクチャ模倣しやすい。
この三行がだいたい全てです。
わたしは学生時代、けっこう真面目に絵を描けるようになりたいなと思ってたことがあるんです。
中学生くらいのときだったかな、イラスト入門みたいな本を買ってきてだいぶん練習に励みました。
……えーと、全然だめでした。
左向きのバストアップは一応「何が描きたいのかはわかる」程度に描けるようにはなったものの、それにしてもテゴタエが無い。 これは自分には無理な世界だなと投げちゃったのでした。
どのくらい一般的な事なのかあやしいのだけど、絵の初期段階は出来の悪さがダイレクトに見えるのでかなりつらいものがあります。
「絵が上手くなるにはとにかく描きまくれ」って声はちょこちょこ目にしますが、そもそも「描きまくる」モチベーションが一枚仕上げるたびにゴリゴリ削られるわけで。
中学生くらいにもなると、既に漫画やライトノベルなど、キャラクターイラストを見る目がかなり肥えてしまってます。その状態で自分の描いたものを見ると、まあ、ウワッとなってしまったわけですよ。
若き望月は考えました。
1:ウワッとなっても打ち克つ精神の強さ。 2:自作が多少ヘタでも楽しめる、「絵を描くことそのものが好き」という気持ち。 3:もしくは、目が肥える前の幼少期に初期段階を通過する運。 4:そもそも初期でもウワッとならないような、初めから上手い絵を描ける才能。
このどれかが必要なのだろうな、と当時のわたしは分析しました。絵の四適性とでも言いましょうか。
で、わたしはどれもナイ。こりゃだめだ。
需要者として絵を見慣れていて好きだからこそ、提供側になって「楽しい!」って思うのは難しい。
だめとわかったものに延々時間をかけてもたぶん無駄じゃろな、と中学生のわたしは割り切り、絵は描けなくても別分野で勝負しよう、という方針でコンニチまで創作をしてきたわけでした。
もちろん、ネットで活動をしてるとビジュアル面が出来た方がいいんだろうなーと思う場面も多々あります。 ゲームのグラフィックが描きたい。本の挿絵を描きたい。動画のサムネイルを描きたい。ツイッターのアイコン描きたい。 ……でもまあ、無い袖は振れません。
というわけで、わたしは以来絵を描ける人を尊敬しつつ、絵が描けない創作者として活動してきたのでした。
ところでわたしは、小説を書いたり作曲をしたり、ごく最近はゲーム制作などにも手を出しています。
はたして、これらをどうして投げ出さなかったかと考えてみると、「べつに投げたくなるような時期が特に存在しなかった」としか言えません。
もっとうまくできたらなーとか、辻褄合わなくてたいへんなことになっちゃったなと個々の作品に対して思うことはあっても、「自分の腕では見るに堪えない」みたいな瞬間はきっとなかったはず。始めた初日に超楽しい! って思った記憶がそれぞれにあります。
でね、わたしはこれを「自分には比較的この分野の適性があったからだ」と捉えていました。絵はイヤになっちゃったけど音楽は最初から楽しかったのは、単に生まれ持ったものの方向が違うんだろーなと。
ですが、ドット絵を始めてみて、なんか前提が違ったんじゃないかなーと思うようになったわけなんです。
わたしが初めて挑戦したのは、三色で16*16という規格でした。
たとえばゲームボーイの歩行グラフィック、アイコンなどがこれに当たります。
というよりも、「参照できるゲームボーイのアイコン画像が手元にあったからこの規格を選んだ」というのがほんとうのところ。
さて、わたしははじめ、このドットを横に置いて写すところから練習を始めました。そのうちに、灰色がどう使われてるかがわかってきて、輪郭と目の距離とかなんとなくわかってきて、ヨッシャ描いちゃえと初めて1から打ったのがこちらのおんなのこです。
ちょっと大袈裟かもしれませんが、わたしはこの一枚打って本当に感動したんですよ。 自分には全く適性が無いと割り切って諦めてたビジュアル分野で、こんなものが作れたなら上出来じゃないか、って。
無論、見る人が見ると改善点は十分あるのでしょうが、少なくともわたしは好きになれました。
ゲームボーイで育った世代である望月は、十分三色ドットを見慣れているはずです。目が肥えていないほど見慣れていない、というわけではありません。そのはずなのに、ずぶの初心者の一作目から、ウワッと思うこともなく完成させられたんです。
しかしそういえばわたし、思い返してみると小説やゲームや音楽ではこの段階を経ている。
たとえば音楽なら、ゲーム音楽をリコーダーで吹いて、音の流れがどう動いてるのか、リズムがどうなってるのかをなんとなく体感してました。『大合奏! バンドブラザーズ』に、音楽の教科書の合唱曲を打ち込んだのも最初期です。
既存のものをまるきり写せること。どうやってできてるんだかをなんとなく体感し、自分で作ってみること。その結果「曲がりなりにもオリジナルと呼べる作品」を生んだ自分にスゲーと言えること。 これができれば、先の四つの適性が元々無かったとしても、なんだかんだで楽しくなってくる。音楽を聞くのが好きなんだから、「そこそこ聞ける自作曲」を自分で作れたらたのしいに決まってるのです。
笛による単音ならば、多少演奏がヘタでも形になります。同時三音制限の作曲ならば、ベースとメロディと伴奏がコードに従って置かれていれば、たいていそこそこ形にはなります。
でね、絵ではこの段階を踏めなかったのがどうも問題だったんだろうなと。 そしておそらく、絵は音楽と異なりアナログな(なめらかな)分野であることが一因だろう、と踏んでいます。
音楽は、高度で特殊な曲を作るわけでなければ、デジタルな(かくかくした)分野として始めることができます。音符の長さは厳密に決まっており、音程も決まった数しか存在しません。ドとレの間にはド#しか無いのです。
(※ごくまれに、「ドとド#の間の音」とかを使う曲も存在します。が、本当にごくまれであり、しかも高度な技術なので、初心者は「存在しない」と考えてしまっても問題無いと思います)
つまり、絵の曲線を写すときは、元の絵をなぞりでもしなければ絶対に完璧には再現できないのに対し、音楽の楽譜を写すのは誰でも簡単なんです。MIDI形式ならさらにわかりやすい。
――――さっきからメッチャクチャ当たり前のことしか書いてないけど、これ気づけてちょっと嬉しかったのでもう少し続けさせてください。
初心者が絵に感じるハードルは、すなわち「模倣」のハードルなんです。
デジタルなほかの創作分野に比べて、アナログな創作分野である絵は模倣の難度が恐ろしく高い。だから、模倣を入口にしようとすると先の四適性に阻まれることが多そうだな、と。 ヘタでもなにくそと乗り越えるか、楽しめるか、ヘタさに気づけないか、最初からヘタじゃないものを作れるか。
ほかに入口があるのかはどうにもわかりません。
ただ、絵に関してだけ「描きたいけど描けない」という人物が目立つのは、絵がアナログな特殊分野だからなんじゃないかな、と。
音楽や小説やゲーム制作で、このような状態に陥っている方はほとんど見かけたことがありません。もちろん悩む方はいますが「作品をとても作りたいと思っているけれど一作たりとも作れていない」という次元の方は、絵のソレに比べるとかなり少ないように見受けられます。
さて、遠回りをグルグルしましたが、ドット絵の話に戻ります。
薄々文意がおわかりでしょうが、ごく小さなドット絵はまるきりデジタル分野――――「真横に置いて描き写す」ことで、元作品を100%再現することが可能な分野です。
だからこそ、「写し、理解し、アレンジし、そこそこ見れる自作を完成させる」という段階を踏める。 それさえできれば楽しくなってきます。 制限の多いデジタル分野ならば、「どのような制限に縛られているのか」を理解すればあんまりとんでもないヘタさのものは出来上がってきません。
もっと早く気づきたかったけれど、ドット絵にふれて初めて気づけたことでした。
わたしと同様の理由で「絵だけはスタート地点でつまずいてしまって諦めた」という方がいたら、ドット絵描いてみるのもいいかもしれません。
普通の絵では難度が高いけれど、ドット絵では有効な――――そして多くの場合、他のデジタル的な分野と共通する――――練習法というのは、たしかに存在します。
また、この思考を通して改めて絵描きの方には尊敬の念を覚えたのでした。
アナログ分野である絵で一定の力量を手に入れられたということは、彼らはナニカシラの理由で初期のウワッな段階を突破しているわけで、やっぱり少し別種の技術の持ち主なのだな、と。
もちろん音楽だろうがゲーム作りだろうが極めるのは難しいから、こっちの方が簡単だと言いたいわけでは全然ないのですが、初心者になるための間口には大きな差があるように思うのです。
たとえるなら、リコーダー吹くのとフルート吹くのじゃスタートラインが全然違うような!
いまいち伝わらない気もするけれど、「わたしは吹奏楽部でフルートを希望したけど音が出なくて諦めたのだ」という補足をつけて本稿を終わりたいと思います。
……最後に一応、128*128だろうが1000*1000だろうが点の集まりなので定義としてはデジタルなのだけど、写せるかといったら現実的じゃないので、本稿ではアナログ(的)と表現させてもらいました。